Interview with HIROSHI YONEYA + KEN KIMIZUKA / TONERICO: INC. —part 2
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photography : Satoshi Asakawa
words : Reiji Yamakura/IDREIT
この記事はインタビュー後半です。前半の記事はこちら「Interview with HIROSHI YONEYA + KEN KIMIZUKA/ TONERICO: INC. —part1」
4階から6階の展示室については、完全に閉ざすべき、という美術館設計のセオリーに対して、「一度展示室に入ったら、ブラックボックスのような空間をぐるぐると歩き回って出口に至るのではなく、都市の中にある開かれた美術館とするために、途中で外部を感じられるようなスペースを設けた」との言葉通り、囲まれた展示室の存在を吹き抜け越しに屋外から視認させ、また、利用者が寄り道や後戻りができるシークエンスをつくり出した。
展示室後の順路に設けられた、過去の展覧会図録などを閲覧できるインフォルームと名付けられた天井高さ11mのスペースでは、書籍をパラパラめくるシーンから想起したという、壁一面を覆い尽くす書棚がデザインされている。壁の上部にいくほど棚板の間隔を狭め、さらに棚板の厚さは上にいくほど薄くなるよう1枚ずつ、50mmから15mmまで1mm単位で変えたものだ。遠近感と相まって、棚板の重なりが情報の集積を想像させる強いメッセージ性を備えた空間である。
各フロアの印象に大きな影響を及ぼすカラーについては、6層あるフロアごとに色合いの異なるグレーが基調色として与えられた。これは「湖をのぞき込んだ時に、深いところと浅瀬とで異なる水の色合い」(米谷)のイメージを空間のレイヤーに対して当てはめたデザインで、1階のカフェが最も明るく、6階が最も濃いグレーとなっている。また、EVホールまわりに用いられた、マットな質感のバイブレーション仕上げの真鍮の壁面パネルでは、合金の割合を微調整して青みの強い色合いとするなど、一つひとつ厳選した素材が使われた。
デザインエレメントについては、「意匠、素材、すべてにおいてオリジナル」を掲げ、椅子やベンチはこの美術館のためにデザインされた。木製のオリジナルチェアは、米谷と君塚の師、内田繁の代表作の一つであるスチール製のアームチェアをもとに、素材を木に置き換え、進化させることを念頭にデザインされたものだ。肘掛有りと無しの2タイプがデザインされ、フロアに合わせた染色仕上げと張り地を組み合わせた全6モデルがカンディハウス で製作された。全体のバランスに加え、アームチェアの後脚と背もたれの接合部などからは、形状の異なるスチールパイプの背と脚を1点で接合していた内田繁の椅子へのオマージュを見て取ることができる。
建築外観は、「開かれた美術館」を視覚的に体現する格子窓の部分と、石張りの無窓のボリュームという対照的な二つの要素で構成されている。上層にいくほど細かい割り付けとした格子窓部分は、近代建築に見られる普遍性を意識したもので、開口部を大きく設けたのは、ガラス越しに上部にある展示室の存在を感じさせることを狙ったものだ。
また、新築された「ミュージアムタワー京橋」は、今後建設予定の隣接ビルとの間に広場を設ける一体的な街区再編による計画であり、設計途上で提案された、かつての敷地境界線を何かしら新しい外装デザインの一部に活かせないか、という要望に対応するかたちで、境界線上にあった円柱を、そのライン上で削いだようなデザインが生まれたという。必然ではなく、「偶然から突如生まれたアイデアながら、構造的な問題もクリアでき、街の記憶を伝えるデザインになった」と米谷と君塚が振り返るように、広場に面するファサードに個性を加える意匠となった。この削ぎ落とした部分の表面は、艶やかな黒を際立たせる磨きと、円柱側面と同じジェットバーナー仕上げを、原寸大で試作、検討した結果、目立ち過ぎない側面同様の仕上げが採用されたもので、光の効果により陰影を見せる。
美術館デザインの全過程を振り返り、米谷と君塚はこう総括する。
「普段の設計では、さまざまな余条件により計算尽くで一つの答えを出すプロセスとなることがほとんどです。
しかし、ここではアートを“体感できる”美術館としての強い印象をつくることが必要だと考え、理性から導かれる設計だけではなく、時に直感的なものを織り混ぜながら新美術館にふさわしい表現を模索した結果、機能性とは別の観点から発想したインフォルームやオブジェクトFOAMのように抽象度の高い要素を含めたデザインを進めました。
コンペでの採用から竣工までの間、私たちのクリエイティブを信頼していただき、前向きで意味のある変更や議論を繰り返しながら、法規対応、この現場のためのオリジナル素材、施工精度にいたるまで“妥協を許さない”という方針を徹底できた貴重なプロジェクトでした」。
「アーティゾン美術館」は、TONERICO: INC.がこれまで追及してきた「囲み」「仕切り」を意識した手法と、彼ららしいディテールへの目配りが、およそ6700平米の大空間に余すところなく展開されたプロジェクトと言える。ブリヂストン美術館が、1952年の開館から京橋の地で築いてきた歴史、そして、日本のインテリアデザインを築いてきた倉俣史朗や内田繁という先人へのリスペクトをその空間デザインに含め、アートを生活の中に浸透させようとする“開かれた美術館”が生まれた。