AHMA / AKIHIRO HAMATANI

覚王山フルーツ大福 弁才天 横浜元町店 設計:AHMA 施工:アンドエス 撮影:志摩大輔

 

覚王山フルーツ大福 弁才天 GINZA SIX店 設計:AHMA 施工:アンドエス 撮影:志摩大輔

 

覚王山フルーツ大福 弁才天 京都店 設計:AHMA 施工:アンドエス 撮影:矢野紀行

 

赤井さんとの出会い

赤井さんとの初めてお会いしたのは今から約10年前くらいだろうか、Puddleの加藤さんのホームパーティーで初めて知り合った。50人ほど参加者がおり、私にとってはかなりのアウェイな場で加藤さんに「あのグループは、はまちゃんと同じ職種だから話してみたら」と放り込まれたところで赤井さんと出会う。初めて見る赤井さんは葉巻を燻らし、いかにもダンディーなチョイ悪おやじの風貌だった。初めましてとお話したら、見た目とは裏腹にものすごく礼儀正しく、言葉遣いも丁寧にお話してくださり、コテコテの関西弁の優しい面白いお兄さんという感じである。お互いの仕事を語り、「今度お仕事一緒にさせてくださいよ!」とお声掛けくださった。そんな出会いからしばらくして、赤井さんにプロジェクトの相談をすることになるが、前職で私が直接担当していた案件では、規模などが合わず、結局お仕事をできずじまいだった。その折、「いつか、はまさんが独立されたら一発目は必ずやりますから声掛けてくださいね!」と話してくださった。

そして、独立して初めての案件が写真1枚目の「覚王山フルーツ大福 弁才天 横浜元町店」である。約束通り独立して初めての案件でお声掛けさせていただいた。予算や規模がまとまっていない段階での声掛けにも関わらず、即答で「やりましょう」とおっしゃったのが印象的だった。独立して最初の案件だったので、私にも力みがかなりあり、プレゼン前にも関わらず、テナント契約直後にとりあえず建物コンディションを見てほしいとお願いした、現場調査のワンシーンが残っている。

 

横浜元町店の現場調査にて(写真提供:AHMA)

 
 

赤井さんとの仕事

赤井さんとの仕事はエネルギッシュだ。赤井さんが現場にいると現場の空気が緊張しているのがよくわかる。竣工が近づくに連れて、その緊張感はさらに増す。プライベートでお会いするときとはまったく違い、ピリピリとした空気をすごく感じる。

記憶に残っているのは、現場での施主、設計打合せでの出来事だ。季節は冬、少し早い時間に到着した私は、その場面に出くわした。赤井さんが直下の現場監督にかなりの勢いで怒っていた。「コーヒーが冷めとるやないけ。もっかい買ってこい!」と。おそらく、コーヒーよりも別の件で怒っていた流れからのことと想像する。赤井さんに尋ねると、「あ、見てました? お見苦しいところすみません(笑)」と。そもそも現場打ち合せでしっかりとスタバのコーヒーが用意されてることにびっくりなのに、それを適温で準備することにもいっさいの妥協がない姿勢にさらに驚かされた。ここだけを切り取れば、時代に逆らった鬼教官と聞こえるかもしれないが、赤井さんは常に最高のものをつくるためにできる限りの準備を怠らないという人だった。

普段はそんなことを絶対に口にしない人だが、ある時、二人で飲んでいる時、「日本一を目指している。アンドエスはレベルの違う会社だと思ってもらいたい」とおっしゃっていたことが印象に残っている。

設計者というものは常に今まで見たことのないようなもの、あるいは見たことがあるけれども少しでも前より進化したものをつくりたいと思っている。そこには一緒の温度感でつくってくれる施工者さんが必要不可欠だ。赤井さんはそんな無理難題に応えたい、という人だった。だから時には厳しくもあるが、その根本には、みんなが気持ちよくいい仕事ができる環境づくりをされていた。

施工者としての確固たるプライドを感じることも多々あった。別の施工会社にお願いしたサンプルをこの現場でも使いたいと話すと、こちらでも検討してみますと言って、それ以上の情報を得ようとはしなかった。一度自分たちでつくってみて、私が見せたサンプルよりもさらに良いものを提案したい、そう考える人なのだ。

ディテールの詰め方にしてもそれは一貫していて、私が描いたディテールに対して、こうした方がいいんじゃないかと提案してくれる。施工者目線で機能性や安全性に配慮した答えを常に提案してくださった。

2枚目の「弁才天 GINZA SIX店」では、石のカウンターを依頼した。当初依頼した石材店にはあまりの大きさから断られ、赤井さんに相談して実現したものだ。約1100mm角×厚60mmという国内では手に入らない石の調達からディテールの検討、重量を気にする商業施設への対応まで、赤井さんがいなければこのデザインは実現できなかった。

また、3枚目の「弁才天 京都店」では、カウンター上のダウンライトから上部への光漏れの対策や、ステージ足元の真鍮素材の傷対策まで、こちらが考える一歩先を考えて、最適な対応策を提示してくださった。常に図面に書いていないところまで先回りして対応されるので、毎回その理由を聞くやりとりから学ぶことが多くあった。

製作図面でも相当細かな所まで配慮が行き届いている。ある時、現場の壁で偶然目にしたのは、私がチェックしていない原寸図面と材料割図面だった。私とやりとりした製作図をもとに、職人さん用にさらに細やかな図面を用意し、丁寧に指示を出してつくっていたことに驚かされた。本当に素晴らしい方だった。ひとことで言うと施工者の鏡のような存在であり、昔ながらの職人気質で「粋」な人だ。

プライベートの赤井さん

プライベートでも赤井さんにはすごくお世話になった。中でも本物の鮨を教えていただいた。それは、心構え、食べ方、作法などだ。ある時、現場が一段落したときに、赤井さんから鮨に誘われた。食べに行くといっても近くの鮨屋に行くのではなく、新幹線に乗って鮨だけを食べに行くのだ。とりあえず東京駅の新幹線口に朝の何時に、という具合で、年に一度くらいしか予約が取れないようなお店に連れて行っていただいた。高級鮨の経験がほとんどなかった私にとってはすべてが驚きだった。

新幹線の中で鮨の手ほどき受け、昼前には現地で市場を回り、魚を見て歩く。赤井さんはまず、今晩のメインの鮨ネタを予想するのだ。市場で旬の情報を聞きながら、光りものはこれかな、貝はこれで白身はこれかな、と。初心者の私には、そんなやりとりのどれもが新鮮だった。昼は鮨とは関係ないご当地グルメを食べて、夜に備える。赤井さんは夜に備えて少ししか食べない。

18時前の開店前には店に並び、いざカウンターに座ったら鮨職人との対峙が待っている。軽く会話をしながら向こうの出方を伺う。赤井さんと店の大将が会話している間も、私は人となりを見られている感じだ。記念に写真を撮りたくても、赤井さんの教えで一切携帯は出せない。腕時計もカウンターを傷つけるとよくないので外してある。緊張の中、時間を忘れて鮨と向き合う。しかし、酔いも回ってくる頃には私にも話題を振ってもらい、くせが強くて気難しいと聞いていた大将とも話をすることができた。何もかもが初めての経験だったが、赤井さんから鮨の奥深さを教えてもらった。

ただ鮨を食べるだけでなく、その体験、また赤井さんの段取りなどはすべて仕事に通じるものだった。粋とは何か、職人とはどういうものか、モノづくりとは、ということを赤井さんからたくさん学ばせていただいたように思う。

赤井さん、粋で職人気質で昔カタギな人柄で、男気のあるカッコいい先輩。
もっと一緒にたくさんの仕事やプライベートを一緒に過ごしたかった。
言葉足らずでうまく伝えられませんが、感謝をもっとお伝えしたかったです。本当にありがとうございました。

心よりご冥福をお祈りします。

AHMA  濱谷明博

 

Reiji Yamakura