YUKI OHNITA
Aesop 日本橋高島屋S.C.店
ぼくが赤井さんとお会いしたのはこの「イソップ日本橋高島屋S.C.店」の設計が初めてで、2017年なので5年前のことになります。それ以来公私ともに濃い時間を一緒に過ごさせてもらったので。この文章を書きながらまだ5年しか経っていないのかと改めて驚いています。
本題に戻ると、本案件では「日本橋」をコンセプトに据え、メインマテリアルの1つが真鍮でした。その真鍮の目指す仕上げ感は、ぼくらがよく言う”古美色”なのですが、その古美色を表現するのに多大な時間と労力を要しました。真鍮といっても基になる配合は様々で、黄色味が強いものや赤みが強いもの、また市場に流通しているものだと規格サイズにも様々なものがあるので、制約が非常に多く、什器の製作時期になっても最終決定に至っておらずギリギリまで思考錯誤をしていたのをよく覚えています。
製作を請け負ってくれている大阪の金物屋さんにも行き、変色した5円玉を何十枚も並べて「これぐらい」とぼくらがふわっと言うのに対し、赤井さんはずっと付き合ってくれて、職人さんに対しても妥協をしない姿勢は本当に尊敬しましたし、信頼できました。赤井さんと職人さんとの関係性をみても、どちらも本当にお任せできるなと確信できたのをよく覚えています。
赤井さんといえば、「食」に対しても妥協がありませんでした 笑。他案件でもそうでしたが、現場があるとその近くで食事に誘っていただくことが多く、このときは銀座の「しも田」に何度か連れて行ってもらいました(実際は赤井さんの行きつけの店で、それ以降も何度も連れて行ったもらうことになります)。老舗の和食屋さんなのですが、トイレには赤井さんが寄贈したというイソップのハンドソープが置いてあり、お店に対しても愛情深いなと感じたことはよく覚えています。
Aesop 大丸心斎橋店
2018年から設計着手した「イソップ大丸心斎橋店」はぼくと赤井さんとの仕事としてはまだ3件目にあたるのですが、今思い直しても既にお互い慣れた関係性というか、互いにストレスなく仕事を進めれるようになっていたと思います。本案件では石でシンクをつくったり柱を巻いたり、銅(こちらも古美色)で前述シンクのボトル置きをつくったりシンクをつくったり、商品を置く木の棚の小口材と棚面はチリ1.5mm、などと他にも細かなディテールを色々と指示してみたのですが、すべてカタチにしてくれました。これらの内容はどれもダメ元でお願いしたのですが、「こうすればできる」と逆に提示してくれることも多く、製作の面においてもこちらも考えるようになり、本当に勉強になった案件でした。ただ赤井さんがぼくを誰かに紹介するときに、名前の前に”細かい”という枕詞をつけるようになったのはこの案件以降だと思います。赤井さんは施工者であるとともに大工としての経歴ももつので職人の面も強く、細かい指示をだすと「また細かいなー」とニヤつきながらもどれも実現してくれていたので、本当に頼りになりました。(はっきり「無理」と言われることも多くありましたが、それはそれでわかりやすくてぼくとしてはやりやすかったです。)
定期的に心斎橋の現場に行くことがあったのですが、赤井さんとタイミングが合う時は午後一の現場定例の後で現場近くの大阪発祥のラーメン屋「KAMUKURA」でラーメンと餃子をよく食べました。九州育ちのぼくに「ここのラーメンの野菜は白菜なんです」「大阪の餃子は酢コショウなんです」「(昔よく通ってて)青春の味やわ」と得意げに(?)教えてくれたのをよく覚えています。大阪の町を一緒に歩きながらご家族の話もし、妹さんが日本を離れるので「おかんにペット飼わなあかんかな」などご家族思いの一面も垣間見れてほっこりしたのもよく覚えています。
イソップ新宿店
2019年設計着手の「イソップ新宿店」では竣工まで半年という短い期間で、路面店ということもあり特に気の抜けない店舗づくりを考えなければいけませんでした。本案件ではメインマテリアルを左官とステンレスの鏡面仕上げとを2つに絞りましたが、どちらも素材の扱いや表現としては非常に難しい中、素晴らしいお店をつくっていただきました。時間もない中で目指す素材の方向性に対し、職人さんはあまり前向きではありませんでしたが、赤井さんがしっかり鼓舞し、実現してくれました。工事期間が年末年始を挟んでいたため、年明けに現場を見に行くと、壁と床の左官が予想以上に綺麗に仕上がっており、感動したのを覚えています。竣工確認時も良い仕上がりに満足していましたが「後日シンクの目皿(フタ)を仕上げ調整して交換しときますね」とぼくにこっそり言ってきて、こちらの目が届いていなかった箇所まで気にかけてくれて、本当に感心しました。
新宿ではサントリーがやっているバー「イーグル」に2人で行ったのをよく覚えています。ここは珍しくぼくの紹介で行ったのですが、入るなり「めっちゃええやん。めっちゃええやん」と喜んでくれていました。ぼくは普段軽食程度でしか行きませんでしたが、赤井さんはたくさんの料理と大きなステーキ頼んで1枚平らげていたのは非常に記憶に残っています。
以下余談ですが、新宿店オープンと同時にコロナ流行により、赤井さんとは仕事で一緒になっても食事をご一緒することはほぼなくなり、それでも2022年5月26日に銀座「しも田」に2人で行く約束をしていました。ですが、ぼくが仕事の都合で行けなくなり、7月に延期しようと連絡とりあっていました。それが叶わないことになってしまい、本当に本当に悔やまれます。この5年間で設計のみならず施工・製作の観点で、ぼくが力をつけられたのは、いつも厳しく、優しい赤井さんのサポートがあってのことだと思います。ご冥福をお祈り致します。